週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

近藤勇の 試衛館と 虎鉄の話

 虎鉄(こてつ)といえば新撰組局長、近藤勇の愛刀として知られている。虎鉄は江戸初期の刀鍛冶。司馬遼太郎『新撰組血風録』には虎鉄をめぐる因縁話が詳しく語られている。

<もともと越前の人で、はじめはすぐれた甲冑師であった。ところが大阪ノ陣がおわってから甲冑の需要がなくなったため、決意して江戸に出、刀鍛冶に転向した。このとき五十である。晩年に転業してしかもその道で名人の名をのこすなどは、奇蹟にちかい>

 近藤は刀の知識は深くなかった。ただ鋭利さ抜群という虎鉄の名に引かれて、芝日影町(ひかげちよう)(現・港区新橋)の刀屋のいうままに買い求めた。近藤のウデと刀の切れ味で新撰組は一躍名を高めたが、どうやら虎鉄はホンモノではなかったらしい。評判の虎鉄を、隊員の中でも目利きだった斉藤(はじめ)がじっくり見せてもらった結果、幕末の名工(みなもと) 清麿(きよまろ)の作品と判定している。

 清麿は信州小諸藩の出身。上田で鍛刀を学んだあと江戸に出て四谷北伊賀町(新宿区三栄町)に住んだので、その作品は「四谷正宗(よつやまさむね)」と珍重された。強烈な尊王思想の持ち主で、安政元年(一八五四)幕政を非難して自刃した。皮肉な巡り合わせで、近藤が対峙する尊皇攘夷の浪士には清麿を好むものが多かった。

 そのせいか近藤は清麿を虎鉄と言い張った。のちに近藤は虎鉄の真作を手に入れるが一番の愛刀は清麿だった。

 近藤の剣術道場「試衛館」跡(新宿区市谷柳町二五)には、<この道場で土方歳三や沖田総司が腕をみがいていました>との標識が立つ。清麿宅は「試衛館」から南へ一キロメートル足らずのところにあった。

 さらに南へ新宿通りを渡った寺町の一角、宗福寺(新宿区須賀町一〇)には、清麿の墓があり、新宿区の指定史跡になっている。不思議な因縁といえようか。

(掲載号:11月08日号)