週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
三浦屋 高尾は 十一代
君はいま駒形あたり時鳥
仙台藩主伊達綱宗に寵愛された新吉原の遊女高尾が、綱宗との別れを惜しんで詠んだと伝えられる句である。
高尾は、新吉原京町の三浦屋に抱えられた遊女のナンバーワンが名乗る太夫名で、三浦屋高尾は十一人いたといわれている。綱宗のお気に入りだったという高尾は普通二代目とされ、「仙台高尾」または「万治高尾」と呼ばれている。万治とは彼女が同二年(一六五九)に亡くなったからで、『武江年表』同年の項にその死亡記事が載っている。
「十二月五日(一六六〇年一月十七日)、吉原三浦屋の名奴高尾死す。転誉妙身信女と云ふ。(山谷春慶院に墓あり。又同所西方寺にもありて、万治三年とするは誤りなり。辞世、さむ風にもろくもくづる紅葉哉……)」
同書はこの後「是れより後高尾十人あり」とあって、これだと「仙台高尾」は初代ということになるが、実のところ高尾についてはいずれも伝説やう わさがもてはやされ、真実はよくわからない。
仙台高尾に関しても、綱宗が彼女に入れ揚げた結果、隠居させられて講談や芝居などで有名になった「伊達騒動」が起こったというが、事実は不明である。
ただ、「
この事件も芝居などになったが、伊達騒動の件もそれを基にしてできたものらしい。もっとも、仙台高尾の実在は確からしく、東浅草二-一四-一に現存の春慶院に辞世の刻まれた彼女の墓が残っている。西方寺は今、豊島区西巣鴨に移っている。
(掲載号:10月04号)
