週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

黄泉比良坂 東福院坂 豆腐地蔵

 日本では最初に記録された坂の名は、『古事記』に出てくる 黄泉比良坂 (よもつひらさか) のようである。妻の 伊邪那美命 (いざなみのみこと) に先立たれた 伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) 黄泉国 (よもつくに) に妻を訪ねる。「決して見ない」と約束したのに、伊邪那岐は好奇心を抑えられず妻の死後の姿を見てしまい、冥界の鬼たちに追われる。伊邪那岐は現世と冥界の境にある黄泉比良坂を、ようやく逃げ越える。

 比良坂のヒラは「崖」を意味し、地名にも滋賀県の比良山地などがある。『古事記』の神話では、このあと伊邪那岐命が日向で (みそぎ) をし左目を洗うと天照大神が生まれる。

 東京の坂ではどうだろう。『江戸学事典』(弘文堂)によると、具体的に坂の名が出てくるのは寛永二十年(一六四三)の『 色音論 (しきおんろん) 』(別題『あづまめぐり』)からで、それも 車坂 (くるまざか) (台東区上野公園)のただ一ヵ所だという。徳川家康が江戸に幕府を開いてから四十年後だから、坂の名は賑やかな人の動きを待って生まれることがよくわかる。

 天和三年(一六八三)の地誌『 (むらさき) 一本 (ひともと) 』になると、坂の項目に二十六の坂名が列挙され、逢坂、浄瑠璃坂、左内坂、神楽坂と新宿区内の四つの坂が紹介されている。確かに牛込、四谷には坂が多い。

 四谷の 天王横丁 (てんのうよこちょう) (新宿区須賀町)。ここに 東福院坂 (とうふくいんざか) (また天王坂)がある。南へ下る坂の西側に真言宗の東福院(同区若葉二-二)があって、境内に江戸っ子の信心を集めた豆腐地蔵が祀られている。

 坂の近くに素行の悪い豆腐屋がいた。毎晩豆腐を買う坊さんがいたが、代金が翌朝には木の葉になるので怒った豆腐屋が坊さんの右手を切り落とした。血の跡を追うと、なんと東福院の石地蔵の右手が折れていた。豆腐屋は地蔵の戒めと知って心を改めた。

 豆腐地蔵に豆腐を供えると、切り傷、腫れ物によく効いたそうである。

(掲載号:09月27日号)