週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

馬頭観音 駿馬塚 熱田明神

 江戸六地蔵の一体がある東浅草の東禅寺門前の細い道を少し東へ行くと、左手の路地の西側に「奉納 南無 馬頭観世音菩薩」と染め抜かれた紅白の幟が何本か立っている。奥に岩のような塊があって、上に小さな祠が 載っている。そばに何層の塔か不明だが、潰れた石造の塔もある。

 路地の入り口にある台東区教育委員会の標示に、付近の人は馬頭観音といっているが『江戸名所図会』に載っている「 駿馬塚 (しゆんめのつか) 」である、と記されている。 つまり、奥州遠征に向かう源義家の愛馬・青海原が病死したのを葬ったと伝えられている塚だという。

 同書の駿馬塚の項は、「新鳥越にあり」とある「熱田明神社」の次に「同所南側何某が別荘の中にあり」と記されている。新鳥越町は、正保二年(一六四五)に現在の鳥越神社付近の民家が幕府の矢の倉建設のために 山谷村内に移転させられた地区である。

 旧地はその後、また町屋になって元鳥越町と命名された。新、元の両町は同じ浅草でも北と南に大きく離れていたわけである。新鳥越町は明治二年、浅草吉野町と改称、昭和四十一年には東浅草となった。

 熱田明神は、現在、今戸二丁目に鎮座している熱田神社で現地には関東大震災後に移された。幕末の切絵図には東禅寺前の道のすぐ東側に、同寺と向かい合うように熱田明神が記入されている。

 つまり、現在の馬頭観音は熱田明神内にあったとも推定できる。『江戸名所図会』には駿馬塚の挿絵もあって、塚は端が架かる川のほとりの松林の傍らに築かれている。神社の境内のようには見えない。そうかといって、別荘の庭という感じでもない。

 ただ川を旧山谷堀とすれば、今の馬頭観音を駿馬塚と見てそう不自然ではない。塚には花が供えられ、地元で大事に守られている。

(掲載号:09月13号)