週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
橋場の 化け地蔵 浅茅原
関東大震災に被災して板橋区に移った曹洞宗の古刹総泉寺の跡地・台東区橋場には、エレキテルの平賀源内の墓の他にもその名残がある。白鬚橋西の明治通り南側歩道に建つ「平賀源内の墓」の標識の地点から南へ入ってしばらく行くと、左手の空き地に並外れて背の高い石の地蔵さまが立っている。
「橋場のお化け地蔵」で、高い台座の上に乗っているのでよけい高く見える。地上から頭まで三メートルくらいはあるだろう。この大地蔵の前には小地蔵が立っている。親子地蔵といってもいいかもしれない。現在は像の傍らにある松吟寺が管理している。
台座に享保六年(一七二一)の建立と記されている。「お化け」の名は背の高さ、あるいは被っていた笠がときどき向きを変えたことに由来するという。今、笠は被っていない。関東大震災で二つに折れたのを修復するとき、頭部を取り替えたからである。
この地蔵は、初め、総泉寺前の松並木の中にぽつんと立っていたという。同寺門前は奥州街道沿いの
浅茅原は『江戸名所図会』に「総泉寺大門のあたりをいふ」とあって、
幕末の切絵図にも、総泉寺前方の広い地域に「浅茅ヶ原」と記されている。辺りにある建物といえば、原を囲むように建っている総泉寺などの寺々だけといってよい。
明治になってこの地域も開けてきて並木の松が切り払われて、地蔵像は総泉寺の入り口に、震災後、現在地に安置された。今は民家に取り囲まれている。
(掲載号:08月02日号)
