週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
『坊っちゃん』 物理学校に 明治の青春
夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公は、数学の教師で物理学校(現・東京理科大学)の卒業生である。
<幸ひ物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出て居たから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続をして仕舞った>
漱石が書いている通り、物理学校には入学試験がなかった。三年で卒業して、四国・松山の中学教師として赴任したのが坊っちゃんである。作品には漱石独特の筆の遊びがめだつが、実は物理学校は誰でも入学できると同時に卒業するのが極めて難しいことで知られていた。
馬場錬成『物理学校』(中公新書ラクレ)によると、『坊っちゃん』執筆当時の明治三十九年、漱石は東大英文科講師で、同僚の東大助教授(物理学)中村恭平と親しかった。中村は明治十四年(一八八一)に物理学校を創設した同志の一人で、のちに三代目物理学校校長になっている。
物理学校の生い立ちはユニークである。草創期の東大仏語物理科の卒業生が集まって、全く自発的に理学普及を目指して開いた、いわばボランティア活動の夜間学校だった。
明治十四年九月、近くの小学校の一部を借りて開校したが、当時は実験器具も東大にあるだけ。そこで恩師に頼みこんで、毎晩必要な器具を借用し、その日のうちに返すという離れ業を演じた。新しい時代を切り開こうという、すがすがしい明治の青春の息吹が伝わってくる。
当初は学校所在地も仮住まいで転々としたが、明治三十八年、牛込区神楽町(新宿区神楽坂)に新校地を得て、翌年校舎が完成した。中村は昼は東大勤務、夜は相変わらず物理学校の教師という多忙な生活を続けていた。牛込生まれ(新宿区喜久井町)の漱石には、物理学校が身近な存在だったのである。
(掲載号:07月19号)
