週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

大イチョウ そびえる 橋場不動

 隅田川に架かる白鬚橋の西のたもとから橋場通り西側歩道を南へ少し行くと、右手に「開運厄除 橋場不動尊」と白く染め抜かれた赤地の幟が何本も立つ砂尾山不動院の参道がある。橋場不動尊は通称で、『江戸名所図会』には「砂尾不動院」とある。

 「橋場寺と号す。橋場の少し南の方、道より右にあり。……宝亀 (ほうき 四年癸巳 ( きし 良弁僧都 (ろうべんそうづ上足 (じょうそく寂昇上人当寺を開基し、本尊に不動明王の像を安ず」

 宝亀四年といえば、奈良時代末期の七七三年である。ただし宝亀四年の正確な干支は癸丑 (きちゆうで、この近くの癸巳は天平勝宝五年(七五三)か弘仁四年(八一三)になる。いずれにしろ古い歴史の寺だろう。

 上足は高弟と同じ意味で、不動院を開いた寂昇上人の師僧は奈良時代の高僧良弁(六八九-七七三)とある。良弁には、幼児のとき鷲にさらわれて今の東大寺二月堂下の杉(良弁杉)に置かれたのを義淵僧正に見つけられ、立派な僧に育てられた、との伝説がある。

 『図会』は、良弁が彫った三体の不動像の一体が寂昇に授けられ、良弁の死後、寂昇が上総(千葉県)へ行く途中に橋場の地で神霊のお告げを受け、像を祀ったものだと記している。砂尾の名については人名と関係があるようだが、よくわからない。

 幕末の切絵図「下谷・三ノ輪・浅草・三谷辺之絵図」にも、隅田川右岸の、細長く描かれている橋場町を南北に貫く道の西側の小さな四角い囲みに「不動院」とある。

 現在の本堂は、弘化二年(一八四五)に建てられた。境内の片隅に、幹が二抱え以上もありそうな大イチョウがそびえている。区の保存樹で、今は沿岸にマンションなどが建ち並び、隅田川からは見えないが、かつては往来の船の目印になったという。他に、浅草名所七福神の布袋尊も祀られている。

(掲載号:07月12日号)