週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

ぽちがなく 田村虎蔵と 唱歌の時代

 二葉亭四迷の『浮雲』など文壇で言文一致体の作品が登場したのは明治二十年代である。音楽の世界でも納所弁次郎 (のうしよべんじろう田村虎蔵 (たむらとらぞうらが「言文一致唱歌」を提唱して、明治三十三年(一九〇〇)年に画期的な『幼年唱歌』が発表された。

 題材には子供が親しめるお伽噺を積極的に取り上げ、作詞は思い切った口語体だった。たとえば『モモタロウ』(田辺友三郎作詞、納所弁次郎作曲、モモカラウマレタ、モモタロウ……)『キンタロウ』(石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲、マサカリカツイデ、キンタロウ……)などで、百年後の今でも古さを感じさせない。

 作曲家の団伊玖磨 (だんいくまは、著書『私の日本音楽史』(NHKライブラリー)のなかで納所や田村の業績を高く評価している。『はなさかじじい』 (石原作詞、田村作曲、うらのはたけで、ぽちがなく…)には「おおばん、こばんが、ザクザク」と出てくるが、

<「ザクザク」といった擬声音にご注目ください。今でこそ歌詞に擬声音を入れるのは珍しくありませんが、日本における長い歌曲の歴史を通じて、これらより以前の曲には擬声音などほとんどありませんでした。当時の人々にどれだけ斬新にうつったか、想像するに余りあるといえましょう>

「ポチ」という言葉も、英語のスポッティ(斑点のある)を犬の名と思い込んだ当時のモダンな流行語だった。

 田村虎蔵は、明治六年(一八七三)鳥取県岩美郡岩美町に生まれた。教育者を志して明治二十五年、東京・上野の音楽学校(現・東京芸大)に入学、卒業するとすぐ兵庫県尋常師範、東京高師で児童に音楽を教えた。

 田村の旧居は、新宿区築土八幡町の筑土八幡 (つくどはちまん神社のすぐ西側で、昭和四十年、教え子らが同神社境内に『キンタロウ』の曲譜を刻んだ顕彰碑を建てている。

(掲載号:05月31日号)