週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

電車 電灯 郊外

 神楽坂(新宿区)の地名は神社の神楽に由来するらしい。ただ、どこの神社なのか。 筑土八幡 ( つくどはちまん 、若宮八幡、赤城神社、市谷八幡、穴八幡。いずれも由緒のある神社で、諸説があって、定めがたい。ともあれ、坂の中腹にある毘沙門天(善国寺)の縁日の賑わいは江戸以来のものである。

 地名由来のなかに、祭礼の神輿が坂の半ばで神楽を奏したからという説がある。かなり急な坂だったので、途中でひと息入れたかったようだ。明治十年代に坂の上部を削ってなだらかにする改修工事があって、また繁昌した。

 牛込生まれの夏目漱石は、<(少年時代に)買物らしい買物は大抵神楽坂 ( まで 出る例になっていた>(『硝子戸の中』)と回想し、群馬県館林の出身だが明治十年代の牛込に育った田山花袋は、<牛込で一番先に目立つのは、または誰でもの頭に残って印象されているだろうと思われるのは、例の毘沙門の縁日であった>(『東京の三十年』)と証言している。

 JR中央線の前身である甲武鉄道は、明治二十七年(一八九四)新宿−牛込(現・飯田橋駅の西側にあった)間を開業、翌年飯田町(飯田橋駅東側)に乗り入れた。乗客は急増して、明治三十七年には中野−飯田町間が煙を吐く蒸気機関車から最先端の電車に切り替えられた。飯田町−八王子間には汽車も走ったから汽車と電車の併用時代である。

 当時、大久保(新宿区)に住んでいた島崎藤村は、飯田町から電車に乗った。随筆『後の新片町より』に「甲武線」と題する文を書いている。

 < 用達 ( ようたし ( すま して、家の方へ帰って行くと、夕方の町々に点く灯がチラチラ電車の窓から見えて、その度に、いかにも郊外の方へ行く気がした>

 明治の東京が、電灯の町と、まだ電灯のない郊外に分かれ、電車がその境界線を浮かび上がらせた。

(掲載号:07月05日号)