週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

真先稲荷 大繁盛 真の理由

 隅田川に架かる白鬚橋の西のたもとから、やや北に鎮座している橋場の鎮守・石浜神社には主祭神の伊勢神宮の祭神の他、多くの境内神社が祀られている。その中に 真先 (まつさき) 稲荷神社がある。

 天文年間(一五三二-五五)に土地の豪族で石浜城主の千葉 守胤 (もりたね) が場内の鎮守として創建したと伝えられるお稲荷さんで、江戸時代は有名な神社だった。『江戸名所図会』も石浜神社の「朝日神明宮」の次に「真先稲荷明神社」を紹介している。両神社が描かれた挿絵も載っていて、繁盛の様子がうかがえる。

 幕末の切絵図には、現在の白鬚橋よりやや上流の隅田川右岸沿いの道に面して姫路十五万石酒井 雅楽頭 (うたのかみ) の下屋敷があって、そのすぐ西隣に神明宮が記入されている。この二つの南に、道一つ隔てて「真崎イナリ」とある。真崎は真先のことで、『図会』の挿絵も「真崎」になっている。

 同書の本文には「同所隅田河の流れに臨む」とあって、境内から隅田川を一望に収めることができた。「この社前は、名にしおふ隅田河の流れ溶々として昼夜を捨てず。 食店酒肆 (りようりやさかや) の軒端は河面に臨んで、 四時 (しいじ) の風光を貯ふ」。

 春は対岸・向島の桜の眺めを楽しみ、夏は杯を川の流れで冷やして暑さをしのぐ。秋の夜は船で川中に漕ぎだして杯の酒に映る月を飲み、雪の降る冬の朝は向島の白鬚神社や木母寺の雪景色を愛でる。境内の茶屋で売る吉原豆腐の田楽も評判だった。

 まさに風流の極致といったところだが、「田楽で帰るがほんの信者なり」はごく少数で、男の参拝者の多くは田楽などに見向きもせず、すぐ近くの豆腐の“原産地”遊郭の新吉原へ向かった。

 お稲荷さん参拝は口実で、最初から吉原参りを目的とする不心得者が多かったようである。

(掲載号:04月05日号)