週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

歴史の 古い 渡し場

 隅田川の白鬚橋西北のたもとに「橋場の渡し」という標示が建っている。

 「墨田区寺島と結ぶ百六十メートルの渡し」とあって、大正三年、白鬚橋が架けられるまであったもので、隅田川の渡しとも呼ばれていて、古くは在原業平が渡った、という主旨の説明がされている。

 現在の隅田川に江戸時代から架かっていた橋は、上流から千住大橋・吾妻橋・両国橋・新大橋・永代橋の五つで、橋から離れた場所には当然多くの渡しがあった。なかでも竹屋の渡し、お (うまや) の渡しなどが名が知られており、橋場の渡しも古い歴史があって有名な渡しの一つだった。

 『江戸名所図会』には「隅田河の渡」として載っていて「橋場より須田堤のもとへの古き渡なり。今は橋場の渡と唱ふ」とあって、『図会』より百四十年ほど前の元禄時代(一六八八-一七〇四)に出版された江戸の地誌『江戸鹿子』には「むかしの渡は、今のところよりすこし川上なりと、所のふるき人は物語するなりとあり」とも記されている。

 いずれにしろ、江戸時代以前は武蔵と下総・上総・常陸、現在の千葉、茨城両県方面を結ぶ重要な交通路だったようである。そのために橋場の地名発祥は、この渡しの辺りに軍勢を渡すために船をつないで作った架設の橋・浮橋が架けられたから、という説があるのもうなずける。

 さらに、在原業平といえば平安時代初期の貴族の歌人で、伝説の色男である。『図会』には「 角田 (すみた) 河渡」という題で渡し舟に乗る業平一行と、都鳥の群れを指さす船頭の挿絵も載っていて「名にしおはゞいざこと問ん都鳥我思ふひとはありやなしやと 在原業平」との書き込みもある。

 都鳥、正式にはユリカモメは現在、東京都の鳥に指定されている。

(掲載号:03月29日号)