週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

橋場は 古くは 石浜

 隅田川に架かる白鬚橋の西のたもとを少し北へ行くと、左手に石浜神社が鎮座している。『江戸名所図会』には「朝日神明宮」とあって「橋場にあり。石浜神明とも、或いは俗に、橋場神明とも (なづ) く。祭神伊勢に同じく 内外 (うちと) 両皇太神宮を (いつ) きまつる」とある。

創建は奈良時代、聖武天皇の 神亀 (しんき) 元年(七二四)と伝えられる歴史の古い神社である。社地は戦後の一時期、東京ガス会社千住工場の拡張で現在地よりやや北へ移ったが、今は元の場所に戻っている。橋場の鎮守で、現在も橋場神明の通称は残っている。

 しかし、現在地は明治通りの北側になっていて、台東区橋場ではなく荒川区南千住三丁目である。昔の橋場は、今より北へ広がっていた。

 ところで今、神社名となっている「石浜」は、橋場より古い地名だったらしい。『江戸名所図会』は「石浜」を「今橋場といふ」と記し、「橋場」の項で「旧名は石浜なり」と説明している。

 『御府内備考』にも「 (あんずる) に石濱は元此邊の惣名にして、橋場はその内の小名なりしに、後世橋場を惣名に唱へしゆえ、終に石濱の名は廃せしと見ゆ」とある。その根拠として橋場総泉寺(板橋区に移転)に伝わる天文二十三年(一五五四)、永禄三年(一五六〇)の文書には「石濱總泉寺」と記されているが、天正十九年(一五九一)の寺領朱印状以後は「橋場總泉寺」となっていることを挙げている。

 この古い地名の石浜が復活したのは、昭和七年だった。橋場町、玉姫町などの一部が石浜町一・二・三丁目となった。だが同四十一年十月一日、住居表示制度の実施で、石浜町全域が清川一・二丁目、橋場一・二丁目となって地名石浜は消滅してしまった。

それでも現在、神社の他、小学校、図書館、公園名などに石浜が残っている。

(掲載号:03月08日号)