週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
戸山荘 人工の 山と滝
寛政五年(一七九三)春三月二十三日、当時十九歳の十一代将軍徳川
戸山荘は武蔵野の起伏をそのまま邸内に取り込み、中央に6万6千平方メートルの水面を持つ二つの池を配した回遊式庭園で、池の掘り土で築いた山が「箱根山」の名で現在も公園内に残る。人工の山だが、標高は44.6メートルで山の手線内の最高峰という記録がある(ちなみに北区王子の飛鳥山は27.2メートル、港区の愛宕山は25.6メートルである)。
ここは尾張藩二代藩主の徳川光友が寛文八年(一六六八)ころ下屋敷として拝領し、屋敷や庭園の整備が始まっている。箱根山の築造もその当時のことらしい。園内に東海道の小田原に似た宿場町が作られたので、いつか箱根山と呼ばれるようになったという。
将軍家斉の供で園遊に加わった旗本が随行の記録を書いているが、旅籠、茶屋、植木屋、酒屋、本屋など三十六軒の店が並ぶ虚構の宿場で客は最高の接待を受け、池をめぐり、轟音とともに
平成十年、新宿区教委は現在早稲田大学文学部構内になっている部分を発掘調査し、人工の「
箱根山が保存されたのは、明治天皇がここの眺望を好まれたためという。
(掲載号:01月18日号)
