週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

十世紀 建立の 駒形堂

 隅田川に架かる駒形橋の北西のたもとの小公園に、朱塗りのお堂が建っている。駒形堂で『江戸名所図会』に「駒形町の河岸にあり。往古は此所に浅草寺の総門ありしといふ。本尊は馬頭観音なり」と記されている。

 同書は続けて「『浅草寺縁起』に、天慶五年安房守平公雅浅草寺観音堂造営の時、この堂宇を建立ありしよしを記せり」と記述している。これが事実とすれば、堂には、はるか平安の昔、平将門の乱が治まった二年後の九四二年建立という古い歴史があるわけである。

 堂は、関東大震災後の昭和八年再建、平成十五年に改築された。その位置は、駒形橋がなかった震災前まで現在地より五十メートルほど南西にあった。

 堂の傍らに建っている元禄六年(一六九三)の銘がある「浅草観音戒殺碑」は、浅草寺領内は殺生禁断の地とするというもので、『図会』にも載っている。昔は駒形河岸に建っていた。昭和二年、堂跡の整理中に発掘されたものを補修したものである。

 駒形の名の由来について、『図会』は、堂に願掛けして願いがかなった者は「かならず駒の形を作り物にして堂内へ奉納す。故に駒形堂と唱へ、地名もまたこれに因っておこる」と記している。だが、これには異論がある。

 隅田川から堂を見ると、馬が駆けているような姿なので「駒駆け」といったのが駒形になった。あるいは箱根から駒形明神を勧請したからなどというものである。

 ところで、駒形の読み方は「こまがた」が普通だが、濁らないのが正しいとの意見もある。芥川龍之介は、新吉原の遊女高尾が仙台藩主伊達綱宗に贈った「君は今駒形あたりほとゝぎす」の句も「こまかた」と読むことでホトトギスの声を聞かせたのではないか、としている。

(掲載号:01月05・12日号)