週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

牛込氏 地蔵坂 光照寺

 邪馬台国(やまたいこく)卑弥呼(ひみこ)など三世紀の日本事情を伝えてくれる中国の史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』には〈其の地には牛、馬、虎、豹、羊、(かささぎ)無し〉と記録されている。牛や馬はまだ異国の動物だったらしい。

 それが『日本書紀』の孝徳天皇白雉(はくち)三年(六五二)の条によると、難波(なにわ)(大阪市)で水害があり多数の人や牛馬が溺死したとあり、さらに天武天皇四年(六七五)の条には牛馬の肉食禁令が出たとある。つまり、このころには牛馬が使役され、時には食用になっていたことがわかる。

 また、孝徳天皇には中国から渡来した善那使主(ぜんなのおみ)が牛乳を献上したという伝承がある。記録の上では孝徳天皇がミルクを召し上がった日本最古の方ということになる。

 牛馬の利用が知られるにつれて、各地に牧場がつくられた。東京の牛込、馬込、駒込などの地名はその名残という。南北朝期に牛込の地名が出てくる。暦応三年(一三四〇)室町幕府第二代将軍の足利義詮(よしあき)らが出した書状に「荏原郡牛込郷」とあり、江戸氏の一族に牛込氏が登場してくる。

 JR中央線飯田橋駅を降りて神楽坂を上がると牛込台である。毘沙門天で有名な善国寺の前を過ぎて最初の道を左に折れると地蔵坂である。坂上にある光照寺(こうしょうじ)(新宿区袋町一五)の子安地蔵に庶民の信仰が集まったため、この名が付いた。鎌倉時代(一三世紀)快慶の作といわれる名品だ。

 光照寺は正保二年(一六四五)に神田から移転してきた。ここは牛込城跡としても知られるところ。戦国時代に上野国大胡(こうずけのくにおおご)(群馬県前橋市大胡)の大胡氏が牛込氏の家督を継いで乗り込み、小田原北条氏の下で、この台地に砦を築いた。近くの赤城神社(同区赤城元町一‐一〇)は古くから尊崇されていた分霊を、上州出身の牛込氏が現在地に奉祀したものである。

(掲載号:01月19日号)