週刊新潮「タワークレーン」
宗参寺 牛込氏 山鹿素行
夏目漱石の晩年の小品『 硝子戸 の 中 ( 』に、牛込の 宗参寺 ( (新宿区弁天町九)が出てくる。漱石の飼い犬「ヘクトー」が行方不明になり、近くの家の庭で死んでいた。その家から知らせがあった。
〈私は下女をわざわざ寄こしてくれた 宅 ( が何処にあるか知らなかった。たヾ私の子供の時分から覚えてゐる古い寺の傍だらうと 許 ( 考へてゐた。それは 山鹿素行 ( の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のやうに、古い榎が一本立ってゐるのが、私の書斎の北の縁から 数多 ( の屋根を越して 能 ( く見えた〉
漱石の旧居があった漱石公園(新宿区早稲田南町七)の北西二百メートルほどのところに、今も宗参寺はある。山門の前の榎は見当たらないが、印刷所や製本所が目立つのが出版の街らしい。境内入り口に「牛込氏墓」「山鹿素行墓」の碑が並んでいる。
牛込氏は室町時代に群馬県 大胡 ( 町を本拠とした豪族で、大胡姓を名乗っていた。戦国の動乱のなかで大永四年(一五二四)小田原北条氏に属して江戸城攻略に加わり、その戦功で牛込の領主となり、牛込城(新宿区袋町、光照寺付近)を本拠とした。これが牛込重行(法名・宗参)で、その子勝行が父の法名を取って創建したのが宗参寺である。
山鹿素行は江戸時代前期の儒者・兵学者で、赤穂浪士の頭領、大石良雄が山鹿流の兵学に親しんでいたことは名高い。素行は元和八年(一六二二)会津に生まれ、赤穂藩主浅野長直に仕えている。当時の官学である朱子学に批判的な立場を咎められて江戸を追われ、赤穂に流された。
赤穂では長直の子、 長矩 ( (刃傷事件で切腹)も素行を厚遇したため、赤穂藩士にも門弟が多かった。素行はのちに許されて江戸に帰り、貞享二年(一六八五)他界したので討ち入りは知らない。
(掲載号:03月16日号)