週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
区内に 三社の 三島さま
台東区内に通称を「三島さま」と呼ばれる神社が三社ある。寿四丁目の三島神社、下谷三丁目の三島神社、根岸一丁目の元三島神社で、このうち寿の神社は『江戸名所図会』に「三島明神社」として載っている。
「駒形町の西二丁ばかりにあり。祭神 大山祗命 ( おおやまづみのみこと 一坐」とあって、その由来を記している。
昔、河野某という武将が本国の伊予(愛媛県)から武蔵国に向かう海上で風波の難に遭ったとき、本国一の宮の三島大明神に祈願して無事に着くことができた。彼はその神恩に報いるため、武蔵の屋敷に三島明神を勧請した。その屋敷は元下谷坂本にあったが元禄年中(一六八八−一七〇三)に現在地に移ったとあり「その旧地東叡山の東の麓根岸村にあり」と書いている。
これによると、神社は初め根岸村・現在JR鶯谷駅すぐ東の根岸一丁目にある元三島神社の地にあったようにうかがえる。だが、東京都神社庁発行の『東京都神社名鑑』で三社の由緒を勘案してみると下谷三丁目・旧金杉の三島神社が元の地だったらしい。
弘安四年(一二八一)、二度目の元の襲来のとき三島明神に祈願して武勲をあげた河野通有は、夢の中で三島明神を武蔵国豊島郡に勧請するようお告げを受けた。その結果彼は上野山内に明神を祀った。
下って江戸時代、寛永寺建立で明神は金杉村に移された。やがてそこも幕府の用地になり、浅草小揚町・現在の寿の地に替え地をもらった。
だが、そのとき金杉村の村民が氏神が遠くに引っ越すのを嫌って根岸村の村民と相談して根岸の熊野神社に三島神社を合祀した。これが現在の元三島神社だが、寿の地にも三島神社が建立された。ところが金杉、現在の下谷三丁目の元地にも何らかの形で神社が残り、今に至ったと推定される。
(掲載号:03月23日号)
