週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

大相撲に ゆかりの 蔵前八幡

 昭和の後期、大相撲の国技館が隅田川に架かる蔵前橋の西のたもとにあって蔵前国技館といわれていたことは、相撲ファンでなくてもご存じの人が多いだろう。昭和二十九年から五十九年の三十年間で、この期間を除いて蔵前は相撲との縁はないと思われがちだが、蔵前はもともと大相撲ゆかりの地だった。

 いま、蔵前三丁目にある蔵前神社を訪れると、正面の石垣に横綱千代の山、東富士、鏡里、吉葉山、大関三根山、栃錦など大相撲のオールドファンには懐かしい名力士の名が印されているのが目に付く。よく見ると、「財団法人大日本相撲協会」と刻まれた石柱もある。

 同神社は『江戸名所図会』に「石清水正(いわしみずしょう)八幡宮」とあって「大倉前にあり。元禄五年台命に()って石清水正八幡宮を勧請せり」と記されている。境内にある由緒書きによると勧請は元禄六年(一六九三)で、徳川五代将軍綱吉が江戸城鬼門の守護神と将軍家の祈願所の一社として、社領二百石を寄進した、とある。

 その後、享保十七年(一七三二)火事で焼け近くに移転したが、延享元年(一七四四)元の地に戻った。

 創建以来、蔵前の八幡さまとして江戸市民の人気を集め境内も広大だったため、やがて勧進相撲が行われるようになった。宝暦七年(一七五七)十月がその第一回で、以後の約七十年間に二十回以上の勧進相撲が行われた。

 この間には、相撲史に残る名力士の谷風や雷電も蔵前八幡の土俵に上がっている。天明二年(一七八二)の二月場所の七日目には、六十三連勝の谷風が新進の小野川に敗れるという一番があって、江戸中が大騒ぎになった、という。

 明治になってからは花相撲が行われた。相撲ファンなら一度は参拝したい八幡さまである。

(掲載号:03月30日号)