週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
祖心尼と 山鹿素行 済松寺
江戸時代前期の兵学者、
済松寺は臨済宗京都妙心寺派に属し、開基は三代将軍徳川家光の侍女
済松寺は祖心尼が家光の意を受けて建てた寺院だけに、かつては八七〇〇坪(二八、七〇〇平方メートル)に及ぶ広大な境内に七堂伽藍が並び、江戸後期の『江戸名所図会』にも鬱蒼と茂る樹林のなかの僧坊の景観が美しく描かれている。深山の趣を伝える禅宗庭園「鳳凰の池」などは今も残り、盛時を偲ばせている。
寛永二十年(一六四三)春日局が他界したあと祖心尼は大奥を取り締まり、表の大老酒井讃岐守忠勝に対して「
堀勇雄『山鹿素行』(吉川弘文館・人物叢書)によると、浪々の身となった素行の父は息子の出世に異常な熱意を示したようである。早熟の素行が学問で才能を見せたため、祖心尼をバックに幕府出仕の話がかなり具体化した。しかし、その成功寸前、慶安四年(一六五一)に家光が逝去したため夢は消えたという。
江戸城の西に接する牛込台地は格好の住宅地で、素行は父母の墓所、宗参寺に葬られた。弁天町の地名は、古くから宗参寺の境内に弁天堂があったため、このあたりの通り名となった。
(掲載号:04月06日号)
