週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

榧寺 黒船町 黒船稲荷

 大相撲にゆかりの蔵前神社の北方、蔵前と寿の間の道路・春日通りが江戸通りと交差する手前の南側・蔵前三丁目に『江戸名所図会』にも 榧寺 ( かやでら の通称で載っている正覚寺が建っている。

 「黒船町にあり。浄土宗にして増上寺に属す。池中山正覚寺と号す。…… 往古 ( そのかみ 当寺に名ある大木の榧ありし故にな号とせりといへり」

 榧の大木は同書の時代に既に失われていた。だが、寺名は今も通称のほうがよく知られている。また、墓地には何人かの有名人が眠っている。

 江戸中期の国学者で狂歌師の石川 雅望 ( まさもち 、その父の浮世絵師豊信、洋画家安井曾太郎、ジャーナリスト長谷川如是閑、三十七代横綱安芸ノ海らである。石川雅望は蜀山人に狂歌を学び、代々の宿屋の主人であったところから狂歌号を 宿屋飯盛 ( やどやのめしもり と名乗った。

 ところで、『図会』は榧寺の所在地を黒船町と記しているが、昭和九年まで浅草黒船町という町があった。現在の寿一丁目、駒形一丁目、蔵前三丁目の内で、江戸時代初期から存在した町名のようである。その由来はオランダの黒船がこの辺りにきたためとか、黒船・外国船の船長が宿泊した所があったなどの諸説があって、はっきりしない。

 今、寿四丁目に黒船稲荷神社という小さなお宮がある。『東京都神社名鑑』によると、天慶三年(九四〇)平将門を破った平貞盛を祀ったのが始まりと伝えられる歴史の古い神社で、現在地より東の隅田川べりにあったのが享保十七年(一七三二)の火災後、現在地に移った、とある。

 ところが現在、江東区牡丹一丁目にも同名のお稲荷さんがあって、『名鑑』に享保十七年、浅草黒船町から移ったもので、元地での創建は応徳三年(一〇八六)とある。黒船は町名も神社も分からないことが多い。

(掲載号:04月20日号)