週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

江戸の音 神楽坂と 浄瑠璃坂

 新宿区には、歴史や由緒を感じさせる地名が多い。JR中央線飯田橋駅から市ヶ谷駅あたりの外濠は、もとは麹町台地と市谷・牛込台地の間を流れていた深くて小さな谷川だったらしい。それが江戸時代の初め、徳川幕府による大規模は江戸城 普請 (ふしん) の結果、いまの景観になったという。

 市ヶ谷駅ホームからは、満々と水を湛えた外濠を眺めることができる。対岸の市谷・牛込台が外濠に向かって落ち込んでいるから、ここには幾つもの坂が並んでいる。

 市谷橋を渡ると、 左内坂 (さないさか) である。元和年間(一六一五−一六二四)この町を開いた名主が島田左内で、坂の途中に左内の屋敷があったので、そのまま左内坂の名がついた。

 北へ行って保健会館に入る坂道が 長延寺坂 (ちょうえんじざか) である。坂上に長延寺があったので町の名も市谷長延寺町である。

 さらに百メートルほど北の坂道。日本福音ルーテル市ヶ谷教会わきに「 浄瑠璃坂 (じょうるりざか) 」の標柱がある。ここは江戸っ子にもお馴染みだったようで『 柳多留 (やなぎだる) 』に川柳が残っている。

 〈 下谷 (したや) では弾く  市谷 (いちがや) で語る (なり)

 下谷には 三味線堀 (しゃみせんぼりど) (台東区小島一丁目にあった掘割)があった。下町風な三味線、それと対照的な市ヶ谷の浄瑠璃坂。この川柳で江戸っ子には二つの地名がピンときたものとみえる。音曲の世界でも浄瑠璃、義太夫は確かに「語る」世界である。

 浄瑠璃坂では、寛文十二年(一六七二)に宇都宮藩の奥平源八(十六歳)が坂上に隠れ住んでいた父の仇を討つという事件があった。坂の名の由来は明らかではないが、坂上で操り人形の浄瑠璃芝居が掛かったという節もある。

 神楽坂も神楽演奏に由来するが、市谷八幡の祭礼をはじめ、近くの若宮八幡、赤城神社、高田穴八幡、 築土神社 (つくどじんじゃ) など諸説がある。

(掲載号:05月04・11日号)