週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

龍宝寺 浄念寺 西福寺

 通称(かや)寺の正覚寺や大相撲ゆかりの蔵前神社のある蔵前三丁目の西、国際通りと新堀通りに挟まれた蔵前四丁目には、江戸時代からの寺が多い。

 一番北に位置する天台宗の龍宝寺には、江戸時代中期、川柳という文芸を確立した初代柄井川柳が眠っている。通称を八右衛門といった彼は、同寺の北西部にあった浅草阿部川町の名主だった。

 龍宝寺の南には、浄土宗の浄念寺が建っている。ここには、文政十二年(一八二九)に完成した江戸の地誌『御府内備考』の編集に当たった幕臣・三島政行の墓がある。

 さらに南の西(さい)福寺は『江戸名所図会』に江戸浄土宗四か寺の随一と書かれている名刹で、江戸時代中期の浮世絵師勝川春章や江戸の町年寄樽屋藤左衛門の墓所だが、同寺はまた明治の新しい教育にも貢献した。今門前に、その説明板が建っている。

 明治・大正のジャーナリストで、文化勲章を受章した評論家・長谷川如是閑の実兄である山本笑月著『明治世相百話』(中公文庫)の「文化」の項に、次の一節がある。

 「明治二年に政府の出した『府県施政順序』のうちに『小学校を設くる事』とあって、翌三年、東京府は初めて都下に小学校を六つ建てた。」

 その一つが西福寺で、他も芝増上寺地中の洞雲院、牛込の万昌院、本郷の本妙寺など西福寺と同じ様に全て寺院だった。

 西福寺の小学校には現在の蔵前、鳥越、浅草橋、柳橋、三筋一帯に住む旧大名、旗本の子弟が入学したという。明治五年の学制発布に先立つもので、東京で最も早い公立小学校の一つだった。

 同校はその後現在の浅草橋四丁目に移って育英小学校となり、さらに同二丁目に移転した。今も同所に健在の台東区立台東育英小学校は、その後身である。

(掲載号:05月25日号)