週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

百人番所 同心の夢 皆中稲荷

江戸時代、徳川将軍直属の家臣を俗に「旗本八万騎」と言っている。しかし、実際はやや少なく、高柳金芳(かねよし)御家人(ごけにん)の私生活』(雄山閣)によると、江戸中期に幕府直参の旗本五二〇〇余家、御家人一万七三〇〇余家で、あわせて二万二五〇〇家ほどだったという。旗本が将軍に御目見(おめみえ)のできる家格だったのに対し、御家人は御目見以下(おめみえいか)と差があった。

千代田区大手町の地名は江戸城の大手門に面するところから出ている。地下鉄の大手町駅から内堀通りに沿ったパレスホテル前に出ると、正面に大手門が威容を見せる。皇居の東御苑は公開されているので、白壁に鉄砲狭間(てっぽうはざま)を設けた櫓造りの堂々たる城門をくぐって城内に入る。

往時の建造物はわずかで、巨石を積んだ城壁跡に緑が広がっている。三の丸尚蔵館を右手に見ながら進むと、大手三之門(おおてさんのもん)である。いまは遺構はないが、かつてはここが本丸と二の丸に通じる要点だった。だから三重の門構えで、直参の精鋭が警備に当たった。幸いこの大手三之門の脇に百人番所(ひゃくにんばんしょ)が江戸時代のままに残っている。傍らに〈鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組(ねごろぐみ)、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました〉という説明の掲示があった。

百人組みは、与力二十騎(二十五騎組だけでは二十五騎)と同心百人で組織された。家格は御家人に属したが、いずれも徳川家康以来の直属の家臣という由緒が誇りだった。

新宿区百人町(ひゃくにんちょう)は、このうち伊賀組の鉄砲百人組に与えられた組屋敷のあったところ。JR山手線新大久保駅に近い皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)(同区百人町一‐一一)は鉄砲同心たちが皆中(みなあた)る、百発百中を祈願し、練習に励んだあたりという。

皆中稲荷では隔年九月に百人隊行列の祭礼があり、火縄銃実射のイベントで人気を呼んでいる。

(掲載号:07月27日号)