週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

祭神は 悪人か 忠臣か

日本には、八百万の神というくらい大勢の神さまがいらっしゃる。従って、神社の祭神もさまざまである。だが、生前は辻斬り専門の凶悪な強盗殺人犯だったとされる人物が祀られている神社は、なかなかあるものではないだろう。

江戸時代初期の寛文(一六六一-七二)の頃、(こう)(幸)坂甚内という悪人がいた。大力の上に、剣は宮本武蔵直伝で奥義を究めた達人だった。夜な夜な江戸市中で辻斬りを働き、幕府の役人も必死で捕まえようとしたが、いつも逃げられてしまった。

ただ、彼にも弱点があった。(おこり)、マラリアが持病で、その発作が起きると動くこともできなかった。捕り手もそれを狙っていて、発作に苦しむ甚内をついに捕縛した。

甚内は近くの旗本の屋敷内に葬られ、同時に彼を祀るお宮も建てられた。幕末の切絵図に、鳥越川に架かる甚内にちなんで付けられた甚内橋の南西のたもとに小出兵庫とある屋敷で、門番に瘧を治すためとことわれば、誰でもお参りすることができたという。『御府内備考』などに載っている話で、今も鳥越神社南西の浅草橋三-十一-五にひっそりと甚内神社が鎮座している。近くの四つ角に「甚内橋跡」の石柱も建っている。

死後とはいえ、随分悪人が厚遇されているようだが、地元では甚内を悪人扱していない。彼は甲州武田家の遺臣高坂弾正の子で、武田家の再興を願って意図的に江戸市中を騒がせた人物としている。

彼の命日は八月十二日で、現在もこの日に祭が行われている。

(掲載号:08月09日号)