週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

縁日の夜 虫めずる 小泉八雲

明治の文学者、小泉八雲は本名ラフカディオ・ハーン。ギリシャ生まれの英国人で、明治二十三年(一八九〇)に来日し松江中学、旧制5高(熊本)、東大、早大で英語教師を歴任、明治二十九年から新宿区富久町に住んだ。同三十五年に区内の大久保に転居、同三十七年そこで世を去った。

八雲は近くの神楽坂や穴八幡の縁日の賑わいに魅せられ、夜店の虫籠で奏でられる虫の声に聞き惚れた。西洋人が小鳥の声を愛するように、日本人は虫の声を聞き分ける繊細な美的感覚を持っている。

<籠で飼う虫に対する日本人の嗜好は、ただ鳴くからいいというわけではないのだ。世間一般が愛好している虫の声調には、それぞれそこになんらかの韻律をもった魅力なり、でなければ、昔から詩歌・伝説などで賞賛されているものと同じ音質がなければ駄目なのである>(『虫の音楽家』平井呈一訳、恒文社刊)

この随筆で、八雲は日本の古典文学に虫狩りの伝統があることを具体的に紹介し、さらに江戸の虫屋の歴史を取材し貴重な記録を残している。

それによると、江戸時代後期の寛政年間(一七八九-一八〇〇)、神田に住む忠蔵という行商人が根岸で捕まえた鈴虫の飼育を始め、しだいに客がついた。客の桐山という武家がこの鈴虫を毎年孵化させる方法を発見し、江戸の虫屋の元祖になったという。おまけに独特の虫籠を作って見せたのも本所の近藤という武家だったというから、武家の内職が地場産業の振興に大いに貢献したのである。

虫屋は虫の名を美しい声で呼びながら江戸の町を売り歩いた。八雲の筆は粋な虫屋の服装にまで伸びて、<スキヤ(透綾)という高価な絹で織ったカタビラ(帷子)を着て、上等の博多の帯を締め>(同書)ていたと、まことに生きいきしている。

(掲載号:09月07日号)