週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

千代姫 所縁の 瘤 寺

旧制五校(熊本)から東大英文科講師に転任した小泉八雲は、明治二十九年九月、新宿区富久町(とみひさちょう)に移り住んだ。八雲は新居の環境が気に入ってこう書いている。

茅居(ぼうきょ)(自宅のこと)のうらには、亭々たる樹木のとばりにかくれて、墓地のある寺が一軒ある。墓地は、樹齢数百年の老松の繁茂したなかにあり、寺は広い、古雅(きく)すべき閑庭のなかに立っている。〉(『死者の文学』平井呈一訳)

それは瘤寺(こぶでら)の異名を持つ名刹自証院(じしょういん)(新宿区富久町四-五)だった。『江戸名所図会』にも、尾張大納言徳川光友の正室千代姫(三代将軍家光の娘)が母の自証院を弔うために創建した寺院と紹介されている。つまり、自証院は将軍家光の側室お()りの(かた)の法名なのである。千代姫の嫁入りにあたって、家光は源氏物語絵巻、初音の調度など豪華な道具を用意し、これが名古屋の徳川美術館に伝来する。

瘤寺という風変わりな名の由来を、八雲は分かりやすく次のように説明している。
<その堂宇が生地のままの木材—木目の美しさとひねった形とで選んで、大工に枝をはらわせ皮をむかせた檜の太い丸太で建てられているからで、(中略)こういう節があったり瘤があったりする木材は貴重なものであって、堅牢で長く保存に耐える>

八雲の妻、小泉節子の回想によると、八雲は毎日朝と夕にこの寺に散歩に出かけたという。残念ながら明治三十四年、寺が財政上の理由で木を切ったため、それを惜しんだ八雲は西大久保へ転居した。

慶安五年(一六五二)、自証院境内に建立されたお振りの方の霊屋(おたまや)は日光東照宮でおなじみの黒漆塗り極彩色の建築。現在、東京・小金井公園内の江戸東京たてもの園に移築されているので、その絢爛豪華な姿を間近に観賞することができる。

(掲載号:09月21日号)