週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

渡辺綱 伝説の 蜘の井

 都営地下鉄新宿線の曙橋駅を降りて、靖国通りを新宿方面に向かって西へ五分も歩くと道路の北側に牛込署富久町(とみひさちょう)交番がある。交番の手前に北に折れる坂道があって、成女学園沿いに坂を上がると名刹自証院(じしょういん)(新宿区富久町四‐五)のある高台である。

 今は成女学園の敷地内になったが、明治の中頃に作家の小泉八雲が住んだのはこのあたりである。八雲は古寺の静閑と老松の繁茂に魅せられたようだが、この高台が江戸の初期にはすでに山桜の名勝として知られていたという。

 おもしろいのは江戸時代初期の地誌『(むらさき)一本(ひともと)』にわたなべの渡辺つな綱にまつわる伝説が詳しく紹介されていることである。場所はズバリ自証院寺内、登場するのは大江山の鬼退治で有名な頼光の四天王の一人、渡辺綱なのである。

 渡辺綱は平安中期に実在した武人で、羅生門の鬼の片腕を斬り落とした話は能楽にも仕組まれている。活躍の舞台はもっぱら関西だが、綱の祖父が武蔵守だったこともあり、関東での活躍物語ができたらしい。江戸での相手は蜘の化物である。綱は女装して、

 <今の自性院(自証院)の山下(やました)の谷を夜()けて一人通りけるに、かの変化(へんげ)の者大木の上にありて、大きなる網を下して、綱が身をくるると巻き、木の上に引きあぐる。綱少しも騒がず、木の上まで引きあげられ、かの化物に近付くや(いな)や(下略)>(新編日本古典文学全集82『紫の一本』小学館)

 隠し持った刀で切りつけると化物はどうと地に落ちて行方をくらました。翌朝、流れた血の跡をたどり山内の穴を掘ると五尺(一・五メートル)余の大蜘の死骸を発見した。穴の湧き水を飲んだ者が死んだので蜘の井と呼ばれたという。

 富久町は、明治二年、江戸期の自証院門前、薬王寺門前などが合併、新町の門出を祝っての地名だ。

(掲載号:09月28日号)