週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

鳥越は 古くて 広かった

 台東区鳥越の地名は、当然正月行事のドンド焼きや千貫神輿で有名な鳥越神社に由来している。 白雉(はくち) 二年(六五一)創建と伝えられる同神社は、初め白鳥神社といったらしい。祭神の 日本武尊(やまとたけるのみこと) が亡くなったあとに白鳥と化したという伝説に基づくもので、周辺の地名も白鳥だったという。

 ところが、十一世紀半ばの前九年の役のとき、奥州遠征に向かう源頼義・義家父子がまだ海辺だったこの地で海を渡ろうとしたが、浅瀬が分からず困っていると、鳥が海を越えて行くのが見えた。義家は鳥が飛んで行く所は浅瀬に違いないと確信して、無事に軍勢を渡らせることができた。義家は白鳥明神を鳥越明神と改名させ、以来、地名も鳥越と称するようになった。

 その鳥越は現在、一・二丁目があり、神社は二丁目に鎮座している。蔵前橋通り北の町域はそんなに広くはない。だが、昔はかなり広い地域名で正保二年(一六四五)、その過半の町家が山谷堀の北に移され、そこを新鳥越町、残った所を元鳥越町といった。

 「鳥越明神の辺より大倉前の辺までをいへり。『北条家分限帳』に、富永善左衛門江戸鳥越村の内を領するよし記せり」。『江戸名所図会』の「鳥越の里」の記述で、この後に室町時代中期の高僧・ 堯恵(ぎょうえ) の『北国紀行』の一文が引用されている。

 文明十八年(一四八六)十二月二十三日、隅田川のほとりの鳥越という村にある老人の家に泊まった、というもので、さらに同じ頃に成立した 道興准后(どうこうじゆごう) の『回国雑記』にある「鳥越の里といふ所に行きくれて」という前書きの付いた歌も載っている。

 義家伝説はともかく、「鳥越」という地名は江戸時代以前からあったことは確かで、その範囲は、今の鳥越神社辺から南の神田川付近まで及んでいたらしい。

(掲載号:11月02日号)