週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

ふるさとの 暮らし保存 給田小学校

 京王線の 千歳烏山(ちとせからすやま)駅を降りて北に歩くと、すぐ甲州街道に出る。これを西に折れたところが世田谷区 給田(きゅうでん)で、西隣はすぐ調布市に接している。

 甲州街道は車両の往来が激しいが沿道にはまだ畑地が残っている。給田の地名の由来ははっきりしないが戦国時代の記録があるから、やはり中世荘園当時の名残かも知れない。誰かが田を給与の代わりに受けたのだろう。西部を 仙川 (せんがわ) が流れ、江戸時代には周辺に水田が広がっていた。

 世田谷区編『ふるさと世田谷を語る』によると、昭和初年には仙川の水も澄み、タナゴ、フナ、ハヤ、ウナギなどが豊富に捕れ、子どもたちにとっても楽しい遊び場だったという。田植え時にはカエルがうるさいほど鳴き、川べりには蛍が飛び交うような自然に恵まれていた。農家は副業の 養蚕(ようさん)にも努め、子どもはガキと呼ばれたが、蚕は“お 蚕様(かいこさま) ”とか“オコサマ”と敬称つきで大切にした。まさしく瑞穂の国ニッポンの姿である。

 急速に都市化が進む昭和40年代に入り、給田の人たちは失われてゆくふるさとの暮らしを少しでも残そうと話し合い、昭和41年、給田小学校の校庭を借りて千歳民俗資料館を建設した。18世紀も末の天明年間に建てられた旧家の一部を移設し、みんなで昔の農具や古文書を持ち寄った。10畳の居間には 囲炉裏(いろり) が切られ、 自在鉤(じざいかぎ)がある。資料館には、餅つきの杵、臼、絹糸を取る糸車もある。

 移設後すでに約40年、さすがに民家は老朽化しているが、米麦などの穀物を精選する 唐箕 (とうみ)や糸車などの農機具は社会科の教材として近くの学校からも借りに来るほど人気があるという。給田小学校でははだし裸足で遊べる校庭、木登りができる樹木があり、子どもたちの声も明るい(資料館の見学には事前に学校に連絡を取る必要がある)。

(掲載号:01月13日号)