週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
泥棒容疑も かけられた 絵師の雪旦
天保5年(1834)年に出版された『
『江戸名所図会』の
『江戸名所図会』は、都心の
江戸研究家の
江戸時代の後期、水道橋(現・文京区)際に守山という鰻の料理屋があった。ある晩、そこに盗賊が入った。調べると、前の日に僧体の男が独酌で御茶ノ水を眺めながら長いこと絵を描いていた。盗みに入る下調べの疑いもある。これが雪旦で、気の早い目明しが雪旦の知人である国学者の
奉行所の役人にも弟子の多い夏蔭は「あの雪旦を知らんのか」と叱りつけたので目明しは恐縮して引き下がったというのである。どうやら、その風体と夢中な仕事振りが誤解を招きやすかったようだ。
天保14年(1843)に他界した雪旦は浅草の幸龍寺に葬られた。幸龍寺は関東大震災で被災、昭和2年に烏山寺町の世田谷区北烏山5-8-1に移転した。
(掲載号:02月17日号)
