週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

烏山に生きる 高源院の鴨池 永隆寺の鶏塚

  中巌円月 ( ちゅうがんえんげつ は南北朝時代の禅宗の高僧で、元に留学して修行、京都・建仁寺や鎌倉・建長寺の住職を歴任した。漢詩にも長じ、『 東海一 ( とうかいいちおうしゅう 』などの詩文も残している。

 円月は鎌倉の名族の出身だったが、少年時代は薄幸だった。『東海一 集』に収められた「自歴譜」には、正安2年(1300)生後2ヶ月のとき父が左遷されて一族は窮迫し、円月は乳母に抱かれてその実家の武州 烏山 ( からすやま (世田谷区烏山)に逃れたとある。これが烏山の地名の最古の記録だ。

 烏山の地名の由来は明らかではない。鳥の群棲する森林があったためとする説、鳥を思わせる黒土の山林だったためとする説などがある。いまの烏山のどのあたりで円月が育ったかはわからないが、北烏山にサンダン坊の地名が残り、昭和10年にここから多量の焼けた瓦が出土した。寺の跡という推測もある。サンダン坊も「参禅坊」のなまりかも知れない。

 時代が移って、大正12年の関東大震災のあと烏山に26ヶ寺が並ぶ寺町ができたのも不思議な因縁である。

 昭和14年品川から移ってきた高源院(世田谷区北烏山4-30-1)には豊かな地下水を利用した広い池がある。弁財天を祀る浮御堂が美しいが、その弁天池が夏は蓮の花で飾られ、冬には鴨の飛来地になる。

 その近くの永隆寺(同区北烏山4-17-1)には珍しい鶏塚(とりつか)がある。江戸時代後期の文政2年(1819)に檀家の松平 忠挙 ( ただたか の母が建てたもので、高さ70cmほどの自然石に「鶏塚」と刻まれている。当時流行した 疱瘡 ( ほうそう 予防のために1000個あまりの鶏卵が使われたことを知り、その命を哀れんで供養した塚だという。

 烏山の自然のなかに鳥がまつわるのも、なにか因縁のようである。

(掲載号:02月24日号)