週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

車庫前 改め 桜上水

 江戸の花見の名所といえば上野、向島、飛鳥山などがあげられる。いずれも8代将軍徳川吉宗の積極的な桜の植樹奨励策によるもので、庶民の花見もこの頃から盛んになったようである。

 玉川上水に沿った西郊の小金井堤(こがねいづつみ)に桜が植えられたのも吉宗の指示だという。江戸の文化や風俗の変遷を克明に追った 斎藤月岑(さいとうげつしん)著『武江年表(ぶこうねんぴょう)元文(げんぶん)年間(1736-1741)つまり吉宗の時代に、吉野(奈良県)と桜川(茨城県)から桜の苗を取り寄せて小金井に植えさせたと記録している。月岑とは『江戸名所図会』をまとめた斎藤幸成である。

 玉川上水の両岸には松や杉が植えられていた。木が根を下ろし堤防の決壊を防ぐのだ。これが桜なら花見客を誘って堤防を踏み固めることもできる。さらに、桜の樹皮や花には消毒効果もあると考えられていた。花見客で賑わえば村にも活気が出ると、深謀遠慮の策だったようである。

 上水の消毒効果はさておいて、桜湯や桜餅の香りはおなじみの通り。『武江年表』の享和(1801-1804)年間記事には、こうある。

 <小金井村の桜、(中略)享和の頃より 騒人墨客(そうじんぼっかく)多く集ひて、毎春遊観の所となれり>

 桜の苗が植え込まれてから60年余を経て、小金井に爛漫の春が到来、吉宗のねらい通り風流人たちで大賑わいというのである。

 桜が上水沿いの人々に愛されたのは言うまでもない。京王電鉄(大正2年4月営業開始)の桜上水(さくらじょうすい)駅は大正15年4月にできた新駅で、当初は北沢車庫前駅、昭和8年に京王車庫前駅と改称し、昭和12年に現在の駅名になった。駅の200mほど北を流れる玉川上水の桜並木からのネーミングである。昭和41年、世田谷区の新住居表示の際に、この駅名が付近の新町名に採用された。

(掲載号:03月31日号)