週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

子規も たどった コース

 目黒不動門前には、かつて料理屋が何軒もあって、名物筍飯で客を呼んでいた。参詣の善男善女もこれを食べるのを楽しみとしていたが、中には敵は本能寺、帰りに遊郭のある品川へ行くのを目的とする男も多かった。

 正岡子規もこのコースをたどった一人である。「今は色気も艶気(つやけ)もなき病人が寝床の上の懺悔(ざんげ) 物語として昔ののろけもまた一興であらう」とその思い出を『病牀六尺』に記している。

 日清戦争が始まる四か月前の明治二十七年三月末のことである。彼は友人の古洲に誘われて大宮公園に行ったが、桜がまだ咲いていないので急に行き先を目黒不動に変え、そこの牡丹亭という料理屋に上がり込んだ。

 「足を伸ばしてしよんぼりとして待つて居るほどに、あつらへの筍飯を持つて出て給仕してくれた十七、八の女があつた。この女あふるるばかりの愛嬌のある顔に、しかもおぼこな処があつて……」

 二人はすっかり、この少女が気に入ってしまった。古洲がランプを運んできた少女にここに泊めてくれないかと頼んだところ、「お泊りはお断り申しまする」と、すげなく断られてしまった。

 仕方なく二人は、徒歩で品川を回って帰ることにする。少女に品川までの道を尋ねると、真っ暗闇の中を小田原提灯を持って一町余り先の品川まで一筋道の地点まで案内してくれた。ここで、少女は子規に渡した提灯の中に小石を一つ落として「さやうなら御機嫌宜しう」と帰っていった。

 「この時の趣、藪のあるやうな野外(のはず)れの小路のしかも闇の中に小提灯をさげて居る自分、小提灯の中に小石を入れて居る佳人、余は病床に苦悶して居る今日に至るまで忘れる事の出来ないのはこの時の趣である。……春の夜や無紋あやしき小提灯」

(掲載号:04月14日号)