週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

目黒の 地名の 由来は

 今、区や町の名称になっている目黒という地名は何に由来し、いつ頃から使われているのだろうか。『新編武蔵風土記稿』は、「上目黒村」の項で「村名の起りは詳ならす」と記している。

 しかし、そのすぐ後に「或いはいふ當所不動堂は、慈覚大師勸請の舊地にして、目黒不動と號するにより、後に其稱號をもて村名とせしならんと、不動の稱に目の色を以って唱ふること、當所のみにもあらす、江戸關口の臺に目白不動ありて、其邊の字を目白臺と呼ひ」と書いている。つまり、目黒不動起源説である。

 また。こじつけの説と断って「當國は古へ牧多けれは、馬にもとつきて名付たる地名多し」と武蔵の国の馬込、駒込、練馬などの地名を列挙して「昔は目色毛色をもて馬の名とせしことあれは、この目黒村も馬の名によりて起りし地名ならん」と紹介している。

 さらに「目黒」を「 免畔(めくろ)」と書いた記録もあるという。これについて同書は「免畔」と記した文書より古いものに「目黒」とあるから単なる当て字だろうと免畔説を一蹴している。だが、「め」は馬のことで「くろ」は畔道、つまり牧場の周りの畔道を意味する「馬畔」がいつしか「目黒」になったとする説もある。

 いずれにしろ地名の由来ははっきりしないが、人名としては鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』の建久元年(一一九〇)の項に、頼朝上洛の随従の武士の一人に目黒弥五郎とあるのが初見とされている。

 『江戸名所図会』も「大鳥大名神社(現大鳥神社)」の項で「『東鏡』に、建久元年十一月七日の条下に、目黒弥五郎といへる名を載せたり。この地より出でたる人なるべし」と記している。

 要するに、目黒は鎌倉時代以前から存在した古い地名で、それだけに由来も不明というほかはない。

(掲載号:05月12日号)