週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

世田谷 七沢 八八幡

 小田急電鉄と京王井の頭線が交差する 下北沢(しもきたざわ)駅は、交通の便がよいため、ファッショナブルな若者たちの街としても人気がある。下北沢駅の南口から 茶沢通(ちゃざわどお)りを南へ歩くと東急田園都市線三軒茶屋駅に通じる。三軒茶屋と下北沢を結ぶので茶沢通りの名が生まれたという。

 下北沢から十分ほど歩くと、 森巌寺西(しんがんじにし)と標識のある交差点に出る。ここを東に折れると 淡島(あわしま)サマで知られる森巌寺の門前である。その隣に大木の目立つ小高い丘があって、古社が鎮座している。北沢地域の鎮守、北沢八幡神社(世田谷区 代沢(だいざわ)三−二五−三)だ。 

 木立に覆われた石段を登ると、荘重な佇まいの社殿があり、「七澤八社随一 正八幡宮」と彫りこまれた古い額が掲げられている。室町時代の文明年間(一四六九−一四八七)に世田谷領主だった 吉良頼康(きらよりやす)が勧請したと伝えられ、現在の社殿は嘉永五年(一八五二)の再建という。

 八幡様といえば源氏で、平安時代に源頼義が鎌倉に鶴岡八幡宮を勧請、五代の孫、頼朝が鎌倉に幕府を開いた。吉良氏は足利将軍の一族という源氏の名門だから、世田谷の領内各地に八幡社を奉祀した。中世から「 七沢(しちざわ)八社(はちしゃ)」と唱えてきたのも、世田谷に多くの沢があり、多くの八幡社があることの簡潔な表現である。

 「世田谷 七沢(しちざわ)八八幡(はちはちまん)」という言葉もある。たしかに、世田谷の北に位置する北沢から、 馬引沢(うまひきざわ) 、深沢、奥沢、吉沢、 廻沢(めぐりさわ)などがあって、歴史と文化の巧みな表現である(ただし、駒沢は馬引沢、深沢などの合併、また、松沢は松原、赤堤、上北沢などの合併、代沢は代田と北沢の合流で誕生した近代の地名)。

 八幡社も、世田谷八幡宮、上北沢の勝利八幡、代田八幡、粕谷八幡、八幡山八幡などがあり、いずれも地元の尊崇を集めている。

(掲載号:05月19日号)