週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
三代に わたる 労作地誌
「この書は祖父が寛政中の編にして、 父県 麻呂が 刪補( 、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年」
江戸の絵入り地誌『江戸名所図会』の「附言」である。「刪補」とは削ったり、補ったりすることで、同書は斎藤月岑( (幸成)によって七巻二十冊の前半が天保五年(一八三四)、後半が同7年に刊行された。祖父長秋(幸雄)が書き始め、父県麻呂(幸孝)が後を継ぎ、さらに月岑の代になってようやく完成した。
三代が踏査した名所は江戸ばかりでなく、今の神奈川、埼玉、千葉三県の一部にも及んでいる。長谷川雪旦の挿絵と共に、当時の情景を生き生きと今に伝えてくれる貴重な名所案内である。
斎藤家は、代々現在の神田司町、神田小川町の一部に当たる神田雉子町の名主を務める家柄だった。月岑はこの名主役の他、幕府へ野菜を納める青物役所の肝煎( 、青果市場の監督も兼ねる忙しい身なのに、『図会』以外にも多くの本を著している。
江戸の年中行事を網羅した『東都歳時記』、江戸開府依頼の市井の出来事を記録した『武江年表』、さらには浄瑠璃を中心とした邦楽についての著述『声曲類纂』なども刊行している。
明治になってからも、実質的には名主役の中年寄を務める傍ら、東京市中を歩き回って写真収集に努めた。数え七十五歳で永眠したのは明治十一年三月六日で、『武江年表』の後編を脱稿した直後だった。
東京メトロ銀座線の稲荷町駅から清洲橋通りの東側歩道を北へ進み、台東区立上野小の先を右に曲がった左側、東上野六−一七−三に法善寺という寺が建っている。門のそばに都指定旧跡「斎藤長秋三代の墓」と記した標識がある。月岑ら三代は、ここに眠っている。
江戸の絵入り地誌『江戸名所図会』の「附言」である。「刪補」とは削ったり、補ったりすることで、同書は斎藤
三代が踏査した名所は江戸ばかりでなく、今の神奈川、埼玉、千葉三県の一部にも及んでいる。長谷川雪旦の挿絵と共に、当時の情景を生き生きと今に伝えてくれる貴重な名所案内である。
斎藤家は、代々現在の神田司町、神田小川町の一部に当たる神田雉子町の名主を務める家柄だった。月岑はこの名主役の他、幕府へ野菜を納める青物役所の
江戸の年中行事を網羅した『東都歳時記』、江戸開府依頼の市井の出来事を記録した『武江年表』、さらには浄瑠璃を中心とした邦楽についての著述『声曲類纂』なども刊行している。
明治になってからも、実質的には名主役の中年寄を務める傍ら、東京市中を歩き回って写真収集に努めた。数え七十五歳で永眠したのは明治十一年三月六日で、『武江年表』の後編を脱稿した直後だった。
東京メトロ銀座線の稲荷町駅から清洲橋通りの東側歩道を北へ進み、台東区立上野小の先を右に曲がった左側、東上野六−一七−三に法善寺という寺が建っている。門のそばに都指定旧跡「斎藤長秋三代の墓」と記した標識がある。月岑ら三代は、ここに眠っている。
(掲載号:06月02日号)
