週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

幻の御所桜 ゆかりの町 桜と桜丘

 小学校の名には地名が付けられることが多い。ところが、世田谷区の桜と桜丘(さくらがおか) の二つの町名の場合は、古くから親しまれていた小学校の名が生みの親になっている。

 明治五年(一八七二)の学制公布にともなって、世田谷区では翌明治六年、太子堂に荏原(えばら) 小学校(現・若林小学校)が設立された。区内最初の小学校で、当時の東京府荏原郡の名を取っている。のちに作家の坂口安吾が代用教員として奉職したのは、この荏原小学校の分教場(現・代沢小学校)だった。

 明治十二年には区内で二番目の桜小学校が世田谷城跡に近い円光院(世田谷区世田谷四−七−一二)に開校、翌年現在地(同区世田谷二−四−一五)に移転している。校名は世田谷城内にあったという見事な御所桜に因む。ただし、江戸後期の有名な地誌『江戸名所図会』の「吉良氏古城の跡」の項には、〈 (むかし)は同じ所に御所桜と称せしものありしが、後世枯れたりと云ひて、今はこの樹なし〉とある。つまり、明治初年には、地元の人の記憶のなかだけに生きる幻の名木だったのである。

御所といえば、天皇の御座所のことである。そこから貴人の住まいや、貴人の敬称になった。室町時代に世田谷城を構えた吉良氏は足利将軍のれっきとした一族で、 世田谷(せたがや)御所(ごしょ)と呼ばれた。その御所に咲き誇った桜、それは京都御所の桜と同じ八重(やえ)左近(さこん)の桜だっただろうか。

 明治八、九年頃、吉良氏所縁(ゆかり)の地に桜木(さくらぎ)(いま同区桜一丁目)という名の(あざ)も生まれている。大正十一年、桜小学校に分教場が誕生し、のちに桜丘小学校(世田谷区桜丘一−一九−一七)に発展した。このため、昭和四十一年の新住居表示では、桜小学校の校区内に桜、桜丘小学校の校区内に桜丘の町名が付けられたのである。

(掲載号:06月30日号)