週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

梅丘に 斎藤茂吉 院長のころ

 小田急線の梅ヶ丘駅(世田谷区 梅丘(うめがおか)一−二四)北口を出て赤堤(あかづつみ)通りを西へ五分も歩くと都立梅ヶ丘病院(世田谷区松原六−三七−一〇)の正門前である。門前の植え込みに歌人 斎藤茂吉(さいとうもきち)の歌碑がある。

〈茂吉われ院長となりいそしむを 世のもろびとよ知りてくだされよ

大正十五年に港区南青山から当地に移設された青山脳病院は昭和二年から同二十年まで斎藤茂吉氏が院長として運営に当たられたが、同二十年東京都に移管され、新たに都立松沢病院分院として発足した。その後昭和二十七年に松沢病院より独立して都立梅ヶ丘病院となり心病む小児の専門病院として今日に至っている〉

 茂吉の長男は精神科医でエッセイストとしても知られる茂太、次男は作家の北杜夫という文人一家である。しかし、茂吉は青山脳病院の婿養子で、本業は病院長だった。生真面目は性格の茂吉は、職務には忠実だったから、それを大真面目で訴えたのである。

 茂吉の歌には一見ユーモラスなものが多い。東北人らしい頑固さがあって、長男の茂太は『回想の父茂吉母輝子』で「マジメであるが故にそこはかとなきユーモアが漂うことがある」と評している。

 たとえば好物の鰻。
 これまでに吾に食はれし鰻らは 仏となりてかがよふらむか
 吾がなかにこなれゆきたる鰻らを おもひてをれば尊くもあるか

 敗戦直後に傷心の自分自身をこう歌っている。
 あかがねの色になりたるはげあたま かくの如きに生きのこりけり

 梅丘の地名は小田急線梅ヶ丘駅から出ている。昭和九年同駅が開設された時、「この地の大地主の旧家に梅の古木があり、同家の家紋も梅」(『小田急五十年史』)だったのが駅名の由来という。

(掲載号:07月14日号)