週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
道具街 合羽橋 菊屋橋
浅草の「かっぱ橋道具街」は、台所用品なら商売用から家庭用まで何でもそろう問屋街として名をはせている。東京メトロ銀座線の田原町駅から浅草通りを上野方面へ向かうと右手の、北へ延びているこの道具街の両側には二百余りの店が軒を連ねている。
ここにこの種の商店が集まりだしたのは大正の初めころという。当時、通りには新堀川、または単に新堀といった川が流れていた。江戸時代初期の十七世紀半ば。入谷、千束田圃の排水と舟運のために幕府が開削した水路で、昭和初年に暗渠となった。
現在、道具街の中ほどの交差点名を合羽橋といい、ここを東西に走っている通りには「合羽橋本通り」の名が付いている。新堀川が流れているころ、ここに合羽橋が架かっていたからである。
十九世紀半ばの嘉永年間に刊行された江戸の切絵図には、浅草寺西方の田園地帯から南へ流れる細い川が描かれていて「浅草新堀」との書き込みがある。また、現在の道具街の辺りには「カシチ」と書いてあり、これは漢字で書けば「河岸地」だろう。
合羽橋と見られる橋もあるが、橋名は記されていない。ところが、合羽橋の下流、現在の浅草通りと道具街が交差するところの橋には「キクヤバシ」と、ちゃんと橋の名が書いてある。菊屋橋で、年輩者には懐かしい地名かもしれない。橋名の由来は付近の菓子屋の屋号から採ったとする説が有力だが、はっきりしない。
いずれにしろ、菊屋橋はこの辺りの俗称となり、昭和十一年から三十九年まで浅草通り南側の正式な町名にもなった。現在も道具街の道路と浅草通りとの交差点、バス停、交番にその名が残っている。
とはいえ近年は合羽橋のほうが知れ渡っている上、それにまつわる伝説もあり、改めてご紹介する。
(掲載号:08月25日号)
