週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
新寺町 中核の 東本願寺
東京メトロ稲荷町駅から浅草通りに出ると、仏具店が軒を連ねている。通りの周辺には寺が多く、仏具店が多いのも何となく納得できる。ここの中ほどから北に伸びている台所用品があふれる「かっぱ橋道具街」と共に、東京でも異色の街である。
寺が多いのは、明暦三年(一六五七)の大火後、幕府が江戸中心部の寺院をこの付近に移転させた名残である。江戸時代、現在の浅草通りを「新寺町通り」といった。
その数ある寺の中で一際目立つのが、かっぱ橋道具街の東に位置する東本願寺である。広い境内の奥に建つ本堂の威容は群を抜いている。
『江戸名所図会』に「新堀端大通りにあり」と記されている。新堀端大通りは、今のかっぱ橋道具街に当たる。ここを流れていた堀を新堀川、または新堀といったからである。同書はこの後、東西本願寺成立の事情や、東本願寺の江戸での移り変わりなどを紹介している。
同寺の歴史は、天正十九年(一五九一)本願寺十二世教如上人が徳川家康から神田西福寺前、今の神田淡路町辺りに土地を与えられて建立した「江戸御坊光端寺」に始まる。十八年後の慶長十四年、江戸城の拡張工事で神田明神下に移り「本願寺末刹」と称した。これが明暦の大火で焼けて現在地に移った。
以来、「浅草本願寺」あるいは「浅草御坊」と呼ばれた。『江戸名所図会』に「当寺は朝鮮人来聘の
浅草本願寺としての歴史が長く、今も浅草通りに面した参道入り口にそう刻んだ石柱が建っている。また一時期、東京本願寺を名乗ったこともあったが、現在の正式名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」である。
(掲載号:09月15日号)
