週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

一夜で 出現の 待乳山

 芝居街・猿若町の名残をわずかにとどめる浅草六丁目東隣の七丁目の小丘・待乳山には聖天(しょうてん)宮が鎮座している。『江戸名所図会』には「真土山にあり」と記されていて、聖天を祀っている寺の正式名を金竜山本竜院という。山号でわかるように、同院は浅草寺の子院である。

 伝説によると、この丘は浅草観音出現の瑞兆として一夜のうちに現れ、同時に金竜が舞い降りて山を守ったので金竜山と称するようになった。この後、この辺りが干ばつに襲われたとき、十一面観音が大聖(だいしょう)歓喜天、つまり聖天となって現れ人々を救ったのが聖天の起源になったという。

 「まつち」は待乳のほか真土、信土、亦土などとも書かれたが、今は待乳で定着している。現在、丘のふもとに「待乳山聖天」と刻まれた大きな石柱が建っている。

 大聖歓喜天は元々ヒンズー教の神に由来する密教の秘仏で、夫婦和合・子孫繁栄・商売繁盛のご利益があるとされている。ちょっとエッチな二股大根と巾着がシンボルで、境内の各所にこの二つが印されている。

 昔は隅田川が見渡せる景勝の地で月の名所でもあり、歌枕として知られていた。『江戸名所図会』にも数々の歌が掲載されていて、その中に元禄時代の歌人戸田茂睡が、自作の「あはれとは夕越えて行く人も見よ まつちの山にのこすことのは」の歌碑を建てたと記されている。

 この石碑は戦災で失われたが、歌人の佐々木信綱らが昭和三十年、残っていた拓本をもとに再建した。今、本堂の東側に建っている。

 本堂の石段下の東側に見られる全長四十五メートルの古い築地塀は、広重の錦絵にも描かれたものである。他に、境内から出土した室町時代作の観音像の頭、映画のトーキー由来碑などもある。

 三年に一度、八月十六日に行われる「お面かぶり(来迎会(らいごうえ))」行事では、本堂と上品堂の間に橋を架け、菩薩の面をかぶった信者たちが現世と浄土を結んでみせる。

(掲載号:11月10日号)