週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

内藤新宿 多武峯神社 と駿馬塚

 馬の顔は、なぜ長いのか。その理由を、本村凌二(もとむらりょうじ)『馬の世界史』(講談社現代新書)は次のように説明している。

〈馬の顔が長いのは、目と口が離れていることで、草を食べながらでも周りに注意することが出来るからである〉

 肉食獣が近づくと一目散に逃げる。だから走る力を身につけた。角や牙もなく、攻撃的ではない。逃げるほかに武器はないから周囲に対して注意深く、知的になる。草原で群をなして棲息しているから協調性や従順さがある。

 馬の利用を習得して人間の歴史は変わった。紀元前六世紀のペルシア帝国で、早馬の駅伝制ができると、それまで徒歩一一一日の行程がわずか七日間で結ばれた。軍事と情報の驚異的は革命だった。

 馬の飼育が日本に、いつごろ、どのように入ってきたかは明確ではない。しかし、五世紀には大陸から乗馬の風習が伝えられており、各地の古墳から馬具が出土している。古代の関東各地には牧場が営まれ、次の時代には、そこから東国武士が誕生した。

 天正十八年(一五九〇)、江戸に入った徳川家康は、まだ原野だった西郊に出て、功臣の内藤清成(ないとうきよなり)青山忠成(あおやまただなり)の二人に「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言ったという。二人は一日駆け続けて約束どおり広大な邸地を拝領した。これが内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にする新宿区西部一帯)と青山(港区西部から渋谷区東部)の始まりである。

 内藤清成の拝領地は信州高遠藩(たかとおはん)内藤家の下屋敷となり、元禄十一年(一六九八)その一部が割かれて新しい宿場になり、内藤新宿と呼ばれる。また、内藤屋敷の庭園は明治時代に新宿御苑となった。

 御苑の東に接した新宿区内藤町一番地に内藤家の屋敷神(やしきがみ)だった多武峯神社(とうのみねじんじゃ)があり、境内に清成の愛馬を称えた駿馬塚(しゅんめづか)がある。

(掲載号:11月24日号)