週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

料理の 八百善は 変化なし

 江戸後期の狂歌師蜀山人が詠んだとされる「詩は詩仏書は米庵に狂歌乃(おれ)芸者小万に料理八百善」の歌は、中の人物が変えられたものがある。つまり「書は米庵」が「画は文晃」であったり、「芸者お勝」であったりする。

 これについて、原田信男著『江戸の料理史』(中公新書)に「ところが最近肥田皓三氏は、この原形について考証され、柴田光彦氏紹介の『蜀山人園繞名蹟集』中の三月二六日付の南畝書簡に収められた次のものとされた」とあって元歌が示されている。

 詩は五山役者ハ杜若傾ハかの芸者ハおかつ料理八百善

 五山は漢詩人の菊池五山、杜若(とじゃく)は歌舞伎の五代目岩井半四郎の俳名、傾は傾城で、かのは新吉原の遊女、おかつは駿河町の者ということで、文化十二年(一八一五)ころの作と推定されている。

 これらの元歌や替え歌で注目したいのは、人物はいろいろ変わっても「料理八百善」だけは変わらないということである。現在の台東区今戸一丁目の山谷橋際にあった八百善は、万人が認める有名な高級料理茶屋だった。

 あるとき、二、三人連れの客が八百善で上等なお茶漬けと香の物を注文した。ところが、注文の物はなかなか出てこない。半日ほどしてようやく、春には珍しいウリとナスの粕漬けにお茶漬けが出てきた。がつがつ食べ終わって値段を聞くと、何と「一両二分頂戴します」。

 今の金に換算して一両を十万円とすれば、十五万円である。客は驚いて主人に訳を聞くと、香の物はともかく、お茶は極上のもので、それに合う水を求めるため玉川へ早飛脚を出して取り寄せたので、その運び賃がかかって「このようなお値段になります」という返事だった。

 料理も高級なら、値段も高級だった。

(掲載号:12月15日号)