週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

江戸の響(ひびき) 天龍寺の 時の鐘

 ・お江戸日本橋七つ立ち

 江戸時代の俗謡で、幕末から明治初年に大流行したという。東海道の旅が夜明けの七つに日本橋を出発するところから始まる。朝の七つは、今の午前四時頃に当たる。

 ところが江戸時代は夜明けと夕暮れを、それぞれ明け六つ(午前六時)、暮れ六つ(午後六つ)と定めた不定時法だから日の長い夏と日の短い冬では時間がかなりずれる。

 〈明け六つが午前5時30分から6時30分の間に当たるのは、11月の初めから3月10日頃までで(東京の場合)、6月なかば頃では、3時46分くらいに当たる〉(内田正男著『こよみと天文・今昔』)

 だから朝の七つというと、夏至の頃には2時40分、冬至では4時20分頃と季節によって大きな差がある。さらに時の鐘も、場所やつ撞く人の裁量で微妙に違ったらしい。

 江戸時代後期、日本橋 石町(こくちょう)をはじめ浅草寺、上野、市谷八幡、四谷天龍寺など九か所に時の鐘があった。

 明治の作家、塚原渋柿園(つかはらじゅうしえん)は嘉永元年(一八四八)江戸・市谷の生まれだが、天龍寺の鐘は早く、八幡のは遅かったと回想している。天龍寺は近くに新宿の遊郭を控えていたので遊客にとっては嬉しくない“追出しの鐘”だった。一方、八幡も夕方の鐘だけは早く、近所の尾張藩の武士の早めの退勤に都合がよかったなど、時の鐘も地域生活密着型だったようである。

 JR新宿駅南口から徒歩五分ほどの天龍寺(新宿区新宿四‐三‐一九)には、常陸(茨城県)笠間藩主・牧野備後守の寄進した時の鐘、洋風のやぐら時計が現存する。昭和の時代までは付近に暮れ六つを知らせる鐘を撞いていたが、今は大晦日の除夜の鐘だけという。しかし、除夜の鐘は百八つに限らず、希望者には撞いてもらって江戸の響を味わっていただくそうだ。

(掲載号:12月29日号)