週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
田園調布に 夢見る未来 電気ホーム
多摩川の左岸を走る国分寺崖線 の高台、世田谷区岡本、玉川、上野毛などに政財界のトップや高名な文化人が閑雅な別邸を設けはじめた大正時代に、次の時代を夢見る開発計画が進んでいた。東京の西郊に瀟洒な郊外住宅街を建設しようという事業である。
「都会の利便と田園の趣味」を謳い文句にした田園都市の建設構想で、これがいまの田園調布を筆頭とする高級住宅地を誕生させることになる。猪瀬直樹『土地の神話』に、つぎのような一節がある。
<渋沢栄一の四男秀雄が、田園都市の視察旅行として9か月間欧米11か国を巡り帰国したのは大正9年(1920年)5月であった。2代目のお坊ちゃんらしい素直さで、旅先で心象に焼き付けた風景をそのまま移植して田園調布をつくった。幾条もの大きさの異なる半円状の道路を同心円に描いたエキゾティックな街並みが、今日の田園調布にハイグレードな印象をもたらしている>
田園都市構想は英国で生まれた。本場では過密化したロンドンの救済策だったが、輸入した日本ではバラ色の郊外住宅地という色彩が濃い。
明治の経済界を牽引した渋沢栄一をバックにした秀雄は分譲地の一画にみずから模範住宅を建ててみせる。秀雄が「電気ホーム」と名づけたモデルハウスで、大正13年10月、無料で公開した。
この「電気ホーム」、照明から暖房、電気釜、電気七輪、電気湯沸し、電気掃除機などまだ開発途上の電化製品が並んでいて、見物の女性たちをうっとりさせたが、その電気代が莫大なことに飛び上がったのは秀雄本人だった。大学卒初任給が60円という時代に、月130円から150円かかったのである。
わが国が本格的な家庭電化時代を迎えるのは、昭和30年代である。
「都会の利便と田園の趣味」を謳い文句にした田園都市の建設構想で、これがいまの田園調布を筆頭とする高級住宅地を誕生させることになる。猪瀬直樹『土地の神話』に、つぎのような一節がある。
<渋沢栄一の四男秀雄が、田園都市の視察旅行として9か月間欧米11か国を巡り帰国したのは大正9年(1920年)5月であった。2代目のお坊ちゃんらしい素直さで、旅先で心象に焼き付けた風景をそのまま移植して田園調布をつくった。幾条もの大きさの異なる半円状の道路を同心円に描いたエキゾティックな街並みが、今日の田園調布にハイグレードな印象をもたらしている>
田園都市構想は英国で生まれた。本場では過密化したロンドンの救済策だったが、輸入した日本ではバラ色の郊外住宅地という色彩が濃い。
明治の経済界を牽引した渋沢栄一をバックにした秀雄は分譲地の一画にみずから模範住宅を建ててみせる。秀雄が「電気ホーム」と名づけたモデルハウスで、大正13年10月、無料で公開した。
この「電気ホーム」、照明から暖房、電気釜、電気七輪、電気湯沸し、電気掃除機などまだ開発途上の電化製品が並んでいて、見物の女性たちをうっとりさせたが、その電気代が莫大なことに飛び上がったのは秀雄本人だった。大学卒初任給が60円という時代に、月130円から150円かかったのである。
わが国が本格的な家庭電化時代を迎えるのは、昭和30年代である。
(掲載号:01月22日号)
