週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
常円寺 涅槃之図 被爆地蔵
目黒区八雲の「吉良家菩提所」東光寺の東隣には、同じように境内の広い常円寺が建っている。徳川家康が江戸入りした天正18年(1590)に創設された寺である。
『新編武蔵風土記稿』に「日蓮宗にて身延山久遠寺末なり」とあるが、初めから同寺の末寺ではなかった。それについても同書は記している。
「當寺ははじめ碑文谷法華寺の末寺なりしが、元祿年中法華寺の住僧罪有し時、本寺は天台宗に改められしかばやがて身延山の末に加へらる」
住僧の罪とは、現円融寺の法華寺が他宗の布施を受けず他宗に施しをしないという不受不施の教義を固守したことを指す。その結果、同寺は幕府から弾圧されて天台宗に改宗させられ、常円寺は本山を変えたわけである。
その常円寺の山門に入ると、まず目に付くのは本堂前の大イチョウである。高さ25m、幹回り4mの巨木で、都と目黒区の保存樹になっている。ギンナンがなる雌株なので、ウソかマコトか雄株の東光寺の大イチョウと根がつながっているとの話もある。
寺宝となっている「釈迦如来涅槃 之図」は開山当時、法華寺から移されたといわれる。縦4.07m、横2.2mの掛け軸になっている極彩色の涅槃図は、慈覚大師が唐から持ち帰ったものと伝えられ、毎年2月15日の涅槃会に一般公開されている。
墓地の入り口右手の小さな祠には、石柱に埋め込まれたような顔だけのお地蔵さまが祀られている。昭和20年、広島市に原爆が投下されたとき爆心地から100m足らずの地にあった西蓮寺という寺の子育て地蔵で、奇しくも顔だけ残ったものである。
これを保存していた人が常円寺に寄進したもので、以来毎月8月6日には、お地蔵さまと原爆物故者の供養が行われている。
『新編武蔵風土記稿』に「日蓮宗にて身延山久遠寺末なり」とあるが、初めから同寺の末寺ではなかった。それについても同書は記している。
「當寺ははじめ碑文谷法華寺の末寺なりしが、元祿年中法華寺の住僧罪有し時、本寺は天台宗に改められしかばやがて身延山の末に加へらる」
住僧の罪とは、現円融寺の法華寺が他宗の布施を受けず他宗に施しをしないという不受不施の教義を固守したことを指す。その結果、同寺は幕府から弾圧されて天台宗に改宗させられ、常円寺は本山を変えたわけである。
その常円寺の山門に入ると、まず目に付くのは本堂前の大イチョウである。高さ25m、幹回り4mの巨木で、都と目黒区の保存樹になっている。ギンナンがなる雌株なので、ウソかマコトか雄株の東光寺の大イチョウと根がつながっているとの話もある。
寺宝となっている「釈迦如来
墓地の入り口右手の小さな祠には、石柱に埋め込まれたような顔だけのお地蔵さまが祀られている。昭和20年、広島市に原爆が投下されたとき爆心地から100m足らずの地にあった西蓮寺という寺の子育て地蔵で、奇しくも顔だけ残ったものである。
これを保存していた人が常円寺に寄進したもので、以来毎月8月6日には、お地蔵さまと原爆物故者の供養が行われている。
(掲載号:03月04日号)
