週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

お犬様 いまに 生きる

 徳川5代将軍の綱吉には、犬公方(いぬくぼう)のあだ名がある。人間より犬を大事にした将軍ということで、その生類憐(しょうるいあわれ)みの令は悪法の名が高い。

 しかし、歴史家の大石慎三郎は「徳川政治史における最も有能な将軍の1人」(『将軍と側用人の政治』講談社現代新書)と再評価を呼びかけている。

 綱吉の時代には、まだ殺伐とした戦国時代の遺風が色濃く残っていた。かよわい子供や病人・老人が食い扶持減らしのために山野に捨てられることも珍しくなかった。綱吉は、人間も含めた「生類」を大事にし、平和な時代を築くという歴史の要請に応えた将軍だったというのである。

 <「生類憐みの令」ととらえられる政策のうち、1番最初に出されたものも、天和2年(1682)正月(貞享4年=1687年に出されたという説もある)の「病人ならびに病馬等捨候(すてそうろう)義、御停止(ごちょうじ)(ふだ)」という名の高札だった>

 つまり、病気の人間や牛馬などを山野に捨てる風習を不届至極(ふとどきしごく)のこととして厳禁しようとする姿勢が始まりだったという。悪名高い「お犬様」の保護も、江戸など新興都市での捨て犬、狂犬病対策の意味があった。それに、戌歳(いぬどし)生まれの綱吉におもねる取り巻きが出て脱線も多かった。

 側用人・柳沢吉保の抜擢など、幕閣での能力主義導入も目立った政策の1つ。喜多見(世田谷区喜多見)の領主だった喜多見重政も抜擢組の1人だった。思いがけず失脚の憂き目を見て舞台から消えたが、綱吉の側用人として自領の喜多見に犬小屋を設置している。上野毛村(世田谷区上野毛)の「牛馬犬猫之(おぼえ)」など当時の貴重な史料も残っている。

 喜多見に、陣屋(喜多見氏の陣屋跡)、出口(陣屋出口)、野屋敷(かつての犬小屋跡)などの地名が残っているのも不思議ではない。

(掲載号:04月01日号)