週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
頼朝の 愛馬伝説 芦毛塚
恐ろしい名に似合わず緑や花が豊かな目黒区の 蛇崩 川緑道の西端、旧蛇崩橋付近から一般道路に出て世田谷区との区境を少し南に行くと、道の中央に緑地があって何本かの大木が茂った中に大きな石碑が建っている。
石碑には「芦毛塚之碑」の文字が刻まれている。石碑は昭和44年に建てられたものだが、ここが『江戸名所図会』や『新編武蔵風土記稿』に記されている源頼朝の愛馬伝説ゆかりの塚ではないかと推定されている。
「宿山( と小地名に称ふる地の 里正 ( なぬし) 金子氏 構( の内にあり。頼朝卿乗ずる所の 蘆( 毛馬の 斃( れたるを、埋蔵せし旧跡と云ふ」とあるのは『江戸名所図会』の「足毛塚」の記述である。
宿山というのは、昔の上目黒村に「宿山組」とあった小名のことだろう。村の中央辺りで、今も目黒川に宿山橋という橋もある。ただ、この橋の所在地は上目黒1丁目で、この辺りが宿山組だとすると現在の芦毛塚のある所とは少し離れている。
これに対し『新編武蔵風土記稿』の「葦毛塚」の記述は「下馬引澤の内上目黒村の堺にあり、凡二間四方の塚なり」とあって、今の芦毛塚の位置とだいたい一致する。同書はその由来についても、より詳しく記している。
頼朝が葦毛の馬に乗ってここを通ったとき、馬が何かに驚いて沢に落ちて死んでしまった。その馬を葬ったのが、葦毛塚という説明である。
一説には馬が沢に引き込まれたので、この辺りを馬引沢と呼ぶようになったという。以来、馬に乗ったまま沢を渡ることははばかられたといわれている。
昔、この辺りは馬の放牧地で、水量豊かな蛇崩川沿岸は沢も多く、馬の事故も時折あったのだろう。そんなところから芦毛塚伝説は生まれたのかもしれない。
石碑には「芦毛塚之碑」の文字が刻まれている。石碑は昭和44年に建てられたものだが、ここが『江戸名所図会』や『新編武蔵風土記稿』に記されている源頼朝の愛馬伝説ゆかりの塚ではないかと推定されている。
「
宿山というのは、昔の上目黒村に「宿山組」とあった小名のことだろう。村の中央辺りで、今も目黒川に宿山橋という橋もある。ただ、この橋の所在地は上目黒1丁目で、この辺りが宿山組だとすると現在の芦毛塚のある所とは少し離れている。
これに対し『新編武蔵風土記稿』の「葦毛塚」の記述は「下馬引澤の内上目黒村の堺にあり、凡二間四方の塚なり」とあって、今の芦毛塚の位置とだいたい一致する。同書はその由来についても、より詳しく記している。
頼朝が葦毛の馬に乗ってここを通ったとき、馬が何かに驚いて沢に落ちて死んでしまった。その馬を葬ったのが、葦毛塚という説明である。
一説には馬が沢に引き込まれたので、この辺りを馬引沢と呼ぶようになったという。以来、馬に乗ったまま沢を渡ることははばかられたといわれている。
昔、この辺りは馬の放牧地で、水量豊かな蛇崩川沿岸は沢も多く、馬の事故も時折あったのだろう。そんなところから芦毛塚伝説は生まれたのかもしれない。
(掲載号:04月22日号)
