週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
古くて 新しい 五本木
数字と木を組み合わせた地名は各地に多い。特に大木は目印としては格好な存在だったから、自然にその土地の呼び名となり、正式の地名にもなっていった。
都内では、今は港区の六本木が何といっても知られているだろう。その六本木より1本少ない五本木という地名が目黒区にある。
区の西部の真ん中辺りで、西は世田谷区下馬と接している。東横線の祐天寺駅や、源頼朝の馬にまつわる伝説の芦毛塚があるのは、その五本木1丁目である。
五本木は、もともと上目黒村の小名だった。『新編武蔵風土記稿』は、同村の小名として石川組、五本木組、宿山組、上地 組、諏訪山道、柳町耕地、石川町耕地、小川町耕地を列挙し、五本木組は「村の南を云」と記している。
組というのは江戸時代以前からあった集落を母体とした村の小行政単位で、生活共同体の機能を持っていた。だから、五本木の地名は鎌倉、あるいは室町時代あたりからあったと推定されている。
名前の由来は、人目を引く5本の大木があったからといわれている。この辺りに多かったという馬の牧場の中に一際目立つ5本のケヤキの大木でも生えていたのかもしれない。江戸時代から明治、大正にかけては農村地帯で、宅地化したのは昭和2年の東横線開通以来のことだった。
いずれにしろ五本木は古い歴史があるようだが、実は1度絶えた地名だった。昭和7年10月、荏原郡目黒町と碑衾( 町が合併して目黒区が誕生したときのことである。
それが同43年1月1日、それまでの上目黒5丁目、三谷町、中目黒3丁目の各一部を「住居表示に関する法律」による町名変更で、五本木1・2・3丁目とした。
五本木は、古くて新しい地名なのである。
都内では、今は港区の六本木が何といっても知られているだろう。その六本木より1本少ない五本木という地名が目黒区にある。
区の西部の真ん中辺りで、西は世田谷区下馬と接している。東横線の祐天寺駅や、源頼朝の馬にまつわる伝説の芦毛塚があるのは、その五本木1丁目である。
五本木は、もともと上目黒村の小名だった。『新編武蔵風土記稿』は、同村の小名として石川組、五本木組、宿山組、
組というのは江戸時代以前からあった集落を母体とした村の小行政単位で、生活共同体の機能を持っていた。だから、五本木の地名は鎌倉、あるいは室町時代あたりからあったと推定されている。
名前の由来は、人目を引く5本の大木があったからといわれている。この辺りに多かったという馬の牧場の中に一際目立つ5本のケヤキの大木でも生えていたのかもしれない。江戸時代から明治、大正にかけては農村地帯で、宅地化したのは昭和2年の東横線開通以来のことだった。
いずれにしろ五本木は古い歴史があるようだが、実は1度絶えた地名だった。昭和7年10月、荏原郡目黒町と
それが同43年1月1日、それまでの上目黒5丁目、三谷町、中目黒3丁目の各一部を「住居表示に関する法律」による町名変更で、五本木1・2・3丁目とした。
五本木は、古くて新しい地名なのである。
(掲載号:04月29日号)
