週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
岡本綺堂 終焉の地 上目黒
「住み慣れた麹町を去って、目黒に移住してから足かけ6年になる。そのあいだに『目黒町誌』をたよりにして、区内の旧蹟や名所などを尋ね廻っているが、目黒もなかなか広い。殊に新市域に編入されてからは、碑衾町をも包含することになったので、私のような出不精の者には容易に廻り切れない」
『半七捕物帳』や戯曲『番町皿屋敷』『修禅寺物語』などの作家として知られる岡本綺堂の随筆『江戸のことば』(河出文庫)の中の「目黒の寺」の一節である。
明治5年、幕府の旧御家人の子として東京・高輪に生まれた彼は、物心付いたころから麹町元園町(現千代田区麹町2丁目)の住人となった。父の勤め先が英国大使館だったためだが、以来、目黒に越すまでの大半はそこが彼の生活拠点だった。
目黒も、最初は別宅のつもりだったらしい。綺堂が門下の劇作家大村嘉代子へ出した手紙をまとめた『弟子への手紙』(青蛙房)に「實は先頃から目?に小さい控家を作りまして、近日落成いたします」とある。昭和7年4月13日付けの手紙で、知人が買っておいた西郷家の分譲地150坪を借地して建てる家だった。
西郷家の分譲地というのは現在の青葉台2丁目の西郷山公園を中心とする旧西郷従道邸の一部が分譲地として売り出されたものだろう。「目?町上目?112番地—渋谷の道玄坂上から左折して67丁府立第一商業学校の裏手、俗に西?山と云ふ所です」ともある。さらに10月には、目黒が東京市内編入で住所が目黒区上目黒1丁目112になった旨の通知を出している。
目黒の家は翌年5月から本宅となった。現在の青葉台1丁目、旧山手通りの西郷橋東側を少し南に入った辺りで、昭和14年3月1日、彼はそこで死去した。
(掲載号:05月27日号)
